ハトブログ

このブログでは、日々の疑問や気になったニュースについて備忘録的に書いています。「暮らしに楽しさを」という言葉をモットーに綴っていきます

いくつになっても挑戦する

年齢を理由に挑戦することを諦めるという人は多いと思います。

私も、もう少し若ければこういうことに挑戦するのになーとか思ったりすることもあります。

 

でも、過去には戻れないわけです。

大事なのは、これから何をするかです。

 

歴史的に見て年齢を重ねてから成功したという例はあります。

 

例えば、レイ・クロック氏。

マクドナルドの効率的な調理システムに感動した、レイクロックさんは、創業者であるマクドナルド兄弟からフランチャイズ権を獲得します。

そして、52歳の時にマクドナルドシステム会社を設立しました。

そこから、マクドナルドを世界的な会社へと広げ、大きく成功しました。

 

また、他にも遅咲きの起業家として知られるのがカーネル・サンダース氏です。

ケンタッキーフライドチキンの店前に必ずと言っていいほど立っている、カーネル像(阪神タイガースが優勝した時に道頓堀川に投げ込まれたりする)のモデルの人です。

 

元々、ガソリンスタンドを経営していたカーネルさんは、その一角でカフェレストランを開きます。そこで、看板メニューとして提供されていたのがフライドチキンです。

レストランは繁盛しますが、カーネルさんが65歳の時に転機が訪れます。

 

州間高速道路の開通です。移動にかかる時間が短縮されて便利だということで皆がそちらを利用します。

このため、カーネルさんのお店近くの国道を走る車が激減します。当然、お店に寄るお客さんも減ってしまい、経営のピンチに。

カーネルさんは泣く泣くお店を手放すことになります。

 

そこから、フランチャイズビジネスに力を入れるようになります。レシピを教えてフランチャイズ店を出します。それが大ヒットして、今や世界的にケンタッキーフライドチキンを知らない人はいないくらいに広まっています。

 

さて、日本にも遅咲きで有名な人物がいます。

伊能忠敬です。日本で最初の精巧な地図を作ったということで有名な人です。

 

伊能忠敬は、酒造業や貸金業を営む伊能家に跡取りとして婿入りします。

そして、経営状態の苦しかった伊能家の再興に尽力します。伊能忠敬の手腕により、伊能家は再興を果たすことになります。

また、いつの頃からか、伊能忠敬は暦学や天文学に興味を持ちます。

 

隠居が認められると、江戸に出て、天文学者高橋至時に弟子入りします。

この時、伊能忠敬は50歳、師匠の高橋至時は31歳ですから、20個近く年下の先生に弟子入りしたことになります。

 

弟子入り後、念願の暦学の勉強ができるとあって熱心に取り組みます。

天体観測についてもその技術を習い、必死に習得します。

 

師匠の高橋至時間重富が新たな暦として「寛政暦」を作成します。

ただ、これも厳密にいうと誤差があるというものでした。

 

誤差をなくすためには、より詳細な計測が必要になります。

長距離の南北の2地点間の距離を測定して、緯度の差を求めるということを高橋至時は提案します(江戸と蝦夷(北海道)の間くらいの距離が必要と考えていました)。

 

さて、問題は当時は各地に関所があって、そこを通行するためには幕府の許可が入ります。そこで、蝦夷地の地図を作成するので、許可して欲しいと幕府に交渉を持ちかけます。

その後、色々ありましたが、伊能忠敬が責任者として測量します。

 

そして、作成された地図があまりに精巧だったため、他の地域の地図作成も任されます。日本中を歩き通して完成させます。

そしてその作成された地図は、現在の地図と見比べても遜色ありません。

 

伊能忠敬が本格的な勉強を開始したのが50歳の時。

74歳でその生涯を終えるまで、地図作成のために測量を続けます。

 

年齢がいくつになっても、何かを始めるのに遅いことはないということで今回3人の例を出しました。

挫けそうになったときは、これらの先人たちを思い出して、頑張ろうと思います。