父の日記の話
私の父は日記をつけています。
これは、私の物心ついた時にはすでに始めていたので、その前からと考えるとかれこれウン十年となっている習慣のはずです。
その日記といっても内容というのは、私が知る範囲では、今日は何を食べたか、家族がどこかに出かけたとか、家族の誰かが風邪を引いて寝込んだとかそういうことが書いてあるみたいです。
趣味なのかなんなのかよくわからないですが、毎日よく続けられるものだなと思っています。
それで、この父の日記は、普段は別にどうってことないのですが、役に立つこともありまして、例えば家族の健康のことなど、数年に渡ってこの記録を辿れば、この時期にダウンしやすいとかいうのがわかったりします。
私の場合は11月に体調を崩すというのが毎度のことなのですが、これは父の日記によって自分でも自覚できたことの一つです。
そのほかにも意外と忘れているのが、家族旅行にいつ行ったかとか、この前の法事はいつ行ったかなんていう、覚えているようで覚えていない家族行事なども父の日記を探せばわかります。
1日あたりで言えばそれほどの量でもないはずですが、数十年単位となると結構な情報量になるようです。
このことに関しては、流石は几帳面なA型の父らしいなと感心せざるを得ないです。
何事に対しても大雑把なおおらかなO型の私には真似できない芸当です。
現在の日記の習慣は?
ちなみに、現在の父の日記習慣ですが、今も続いているようです。
離れて暮らしているのに、なぜわかるのかというと、家族LINEでのやりとりからです。
現在離れて暮らす家族でのLINEグループがありまして、毎朝お互いの生存報告のため(?)に、それぞれが挨拶をするようにしています(私らはスタンプくらいですが)。
そこは父の独壇場と化しています。
父は朝の挨拶だけでなく、毎食の内容やどこに出かけたかをそこに投稿しているため、家族ラインのやりとりは父の日記状態です。
それを見ると、日記の習慣がまだ続いているようだというのも容易に想像がつきます。
食事内容を見れば、母親がどこかに出かけているのだなということもわかるため(母が不在の時は内容がレトルト食品や冷凍食品になっている)、十分な情報量です。
ちなみに、2005年にドクター中松こと中松義郎氏は、「34年間自分の食事を写真に撮影し、食べた物が脳の働きや体調に与える影響を分析したことに対して」イグノーベル賞(ノーベル賞のパロディ版)の栄養学賞を受賞しています。
そのことを考えると、個人の長期間にわたる記録というのはそれなりの価値があるということでしょうね。
日記としてのブログもいつか役に立つのでは?
この父の日記を見るにつけ、その時点での考え方や出来事をブログに残しておくのも、あとで役に立つことがあるかもしれないなと考えるようになりました。
その時は大した情報には思えなくても、後々見返した時に、何かの発見や歴史的な価値が生まれるかもしれません。
日本でブログが広まったのは、2002年と言われていますから、実は20年ほどしか歴史はないと言えます。
長期的な視点で見ると、数十年に渡ってブログをだらだら続けることは、それなりの価値をもつかもしれませんね。
長生きしさえすれば、同一ブログを長期間運営した記録としてギネス記録が狙えるかもしれません。