※今回の記事は念のためお食事中の閲覧は避けてご覧ください。
今回は「人生で1番の危機」というテーマで記事を書いていきます。
これまでの人生を振り返ると、私自身の慎重な性格もあってか、あまり無茶をすることなく安全に生きてきた方だと思います。
そんな私ですが、数十年と生きていれば、緊急事態にごく稀に遭遇することもあるわけでして、その中でも一番印象に残っている話を書きます。
あれは、7、8年ほど前のことです。
関東の方に友人を訪ねて遊びにいきました。
何泊か泊まりでの旅行だったのですが、その最終日のことです。
その日の日中は、友人たちと観光地を巡りました。
そして夜になり、晩ご飯に友人行きつけの焼肉屋に向かいます。
そこでたくさん飲んだり食べたりして楽しく過ごしたのですが、帰りのバスの時間が近づいてきました。
そうです。その日は、関西に帰るのに夜行バスを利用する予定だったのです。
集合場所の駅前には、その焼肉屋からは数駅ですが電車に乗っていかなければなりません。
土地勘がない私にとっては、その駅前バス乗り場までどれくらい時間がかかるかわかりませんでしたが、友人に聞くとバス停まで一緒について行ってあげると言われたので、お願いすることにしました。
バスの集合時刻に間に合うように焼肉屋を出て、急ぎ足で電車に乗って向かいます。
目的の駅に着いて時刻を見てみると、集合時刻の15分ほど前でした。
これなら間に合いそうです。
それでそのまま駅前バス乗り場に到着し、友人たちに礼を言い、無事にバスに乗ることができました。
この時点でバス発車10分前です。
ここまでで何も問題はないようですが、実はこの時から緊急事態へのカウントダウンはスタートしています。
バスの集合時刻に間に合うことを目的としていた私は、高速バスに乗り込む前に、お手洗いへ行くのをすっかり忘れていたのです。
実は、予約していたその高速バス内にはトイレ設備がついていません。
バスの発車5分前くらいにそのことに気づいた私ですが、今バスを出ると、慣れない場所でトイレを探して、用を足し、無事にバスに戻ってくることは不可能に近いように思えました。
ですので、ここは仕方なく最初のトイレ休憩までは我慢することにしました。
まあどうせ2時間おきくらいにはトイレ休憩があるし大丈夫でしょうと鷹を括っていました。
そして、バスは予定時刻ちょうどに出発しました。
しばらくそのまま走行して、消灯時刻となり車内が暗くなりました。
適度にアルコールが入った私は、その覚醒作用からか眠気はなく、しばらく寝る気にはなれませんでした。
なので、今回の旅行の楽しかったことを思い出しながら余韻を味わっていました。
そして、発車時刻から15分くらいして、アルコールのもう一つの作用が発揮され始めます。
そう。利尿作用です。
焼肉を食べながらのお酒は本当に美味しいです。最終日ということもあって、いつもより多めに飲みました。
お酒に弱い私は最後に水も何杯か飲んで、さらにバスに乗るまでの移動中も500mlペットボトルの水を底から5分の1くらいになるまで飲んでいました。
うん。トイレ行きたい。
バスが発車してから20分が経つ頃には、はっきりとそう思っていました。
ですが、車内にはトイレはないので次のパーキングエリアまで我慢しなくてはなりません。
ここからが地獄のスタートです。
ここからはなんとか意識を逸らそうと、あれこれ別のことを考えるのですが、あまり効果はなく、むしろ意識をそらそうとすればするほど、さらに気になってきてしまいます。
なんとかかんとか、発車してから1時間くらいまでは耐えました。
この時点でも結構大変だったのですが、ここまで我慢してみると尿意というのはある程度波があり、大丈夫な時と、乗り越えなくてはならない時と、周期があるようでした。
この乗り越えなくてはいけないビッグウェーブさえ乗り切れば、意外と我慢できてしまうのかもとちょっと考えていました。
しかし、その読みは甘い。その波の感覚は段々と短くなってきます。
最初は大丈夫な時、大丈夫じゃない時が交互に来ていたのが、だんだんと大丈夫な時が減ってきて、大丈夫じゃない時が通常時になってしまいます。
人生は日々新たな発見の連続です。
これまでの人生でここまで我慢をしたことがないので、知らなかったのですが、我慢をしすぎると今度は体に震えがきます。
手足から血の気が引いていき冷たくなってきました。
この時点で発車から1時間20分くらい経っていたと思います。
痛みで紛らわそうと、爪をぐっと押し込んだ手の甲は、もうすでに赤くなっている箇所がたくさんあります。
満身創痍です。
次のトイレ休憩までの時間が永遠に感じられます。
人間は極限状態まで追い込まれると、なぜか今度は神様に祈りを捧げるようになります。
「なんでもしますので、助けてください」みたいなことを永遠と頭の中で繰り返します。
「昔、嫌いな食べ物を残したこと」「これからは仕事をサボらずに頑張りますから」など関係ないようなことなんかも思い出して、そのことを謝ります。
まるで走馬灯のようです。
そこからさらに10分くらいして、もう限界だと考えた私は、バスの前方にいる乗務員さん(交代前の運転手さん)に伝えて、どこか近くのPAで停めてもらおうと思いつきます。
幸いなことに、前から3列目くらいの座席だったので、こそこそと行けばあまり目立ちません。
乗務員さんの横に行き、小声で、
「すみません。トイレに行きたくて限界なんですけど、どこかで停めてもらえませんか?」
と伝えました。
すると乗務員さんは、時計をチラッと見て
「あと15分くらいで着きますので、待っていただけますか」
というふうに言ってきます。
15分か、限界だけど15分なら、ここまでのことを考えるとなんとかなりそうか。
よし、待つのは本当に15分だけだからな。
それ以上だったら、会社にクレームを入れるかもしれないぞ。
と精神的に追い込まれた私は、やや凶暴なことを考えながら(口に出してはいない)、15分間の死闘を決意して、自分の席にこそこそと戻ります。
これまでは、はっきりとこの時間まで待てばいいということがわからなかったのですが、乗務員さんの言葉で残り15分という明確な数字が出ました。
こうなると、一筋の希望が見えてきます。15分待てばいい。15分我慢しさえすれば、大丈夫だ。と、自分の全身に言い聞かせました。
ただ、タイムリミットが判明したとはいえ、我慢ができる限界は超えています。
ここで、飲みかけの残り5分の1ほどになったペットボトルの存在を思い出します。
本当に万が一のことを考えて、保険を用意することにしました。
中身を飲むことはできないので、ペットボトルのキャップの口だけ緩めて準備しておきます。
そして、社会の窓も念のためオープンしておきます。念の為ですよ。緊急事態ですし。
車内は暗い上に四人がけの座席で、隣には幸いなことに誰も座っていなかったので誰にもわかりません。
その状態で最後の15分を過ごします。生きた心地がしませんでした。
そして、結論からいうと本当に15分でパーキングエリアに到着しました。
乗務員さん、途中で疑ってすみませんでした。セリヌンティウスの気持ちが少しわかりました。
ゆっくりと駐車場に停車するバス。
そして、車内に明かりが灯り、出発時刻のアナウンスがされます。
私はすぐにお手洗いに向かいます。
目的地に向かう時も最後の最後まで気を緩めないように、水でいっぱいになり表面張力が働いているグラスを持っているかのごとく、慎重に進みました。
というか、本当に手足に感覚がなくなっていたので、ややフラフラしながら歩きました。
ズボンの社会の窓が開いていた(緊急事態だったもので)のも功を奏し、何とか間に合いました。
間に合ったという安堵の気持ちと共に、あんなに震えて冷えていた手足にも温もりと感覚が戻ってきました。
人間、緊急事態に追い込まれると、正常な判断はできないということがわかりました。
バスに戻る時に先ほどの乗務員さんに、一言お詫びを入れておきました(ほほを殴ってくれとまでは言いませんでしたが)。
発車してからのバスでは、安心からか先ほどとは打って変わって、ゆっくりと眠りにつくことができました。
今回の出来事に懲りた私は、夜行バスなどの高速バスを利用する際は、基本的にトイレ付きのものを選んで利用するようになりました。
止むを得ず、トイレなしのものを利用することがあれば、事前にトイレを済ませてから乗り込むことだろうと思います。
冷や冷やした体験でしたが、事前の準備を怠ってはいけないといういい教訓になりました。
皆様、夜行バスをご利用する際は、事前準備を怠らず。どうかお気をつけてご乗車ください。